恭平の物語(Story of Kyohei)


目次


シンディーとの別れ

留守番

 家族全員で、旅行をする事になった。こんな家族らしい発想は今までに無かった事で、計画もどんどん進行していく。行き先を決めなくてはならいが、うちの家族は自分の意見を主張するタイプばかりなので、北海道、九州、ハワイ、と、言いたい放題だった。結局父の意見を尊重しグアムとなった。「じゃ、グアムのツアーを探そう。何泊するの?」が・・・・恭平はどうする? 私だけ留守番するから、3人で行ってきたらどうだ?と提案したが、こんな家族旅行なんてこの先あるかないか判らないので「行け」と叱られた。結局恭平をペット・ホテルにあずける事にした。しかし、どうしても冷たいベッドで恭平が何日も待っているなんて考えると、旅行へ行く気がしない。ひょっとしたら散歩とトイレとご飯だけ何とかなれば後は家にいたほうが安心かもしれないと思った。そこで母は私の叔母に頼んだ。毎日は大変だと私の親友にも頼むことにした。叔母は自宅から歩いても来られる場所だし、犬が好きでいつも恭平を可愛がってくれていた。私の親友は犬があまり得意ではないが、恭平だけは「犬らしくない犬」として可愛がってくれていた。

 叔母も、親友も二つ返事だったのでとにかく必要な散歩とご飯をお願いすることにした。叔母はご飯の量、作り方、そして散歩の仕方を聞きに来てくれた。これなら任せても大丈夫だと思った。そして、恭平は自分のお茶碗や、リードを持ってなにやらしている叔母の様子をじっと眺めている。叔母も恭平に「一緒にいい子で留守番するんだよ。いい子にしないとだめだよ」などと言い聞かせている。友達はあまり犬の扱いに慣れていないので心配したが、それぐらいなら大丈夫だと言ってくれたし、私自身が安心感があった。そして、旅立つ前に、親友に「恭平取扱説明書」を書き残した。

 そして旅立ちの朝。頼んでいたわけでもなかったが叔母がお見送りを兼ねて自宅へ来てくれた。私たちが出かけた後に一匹だけ残されるのは寂しいだろうから、しばらく一緒にいてあげる、と本当に親切にしてくれた。

 そとうとう出発の時。異様な雰囲気に気づいた恭平は私たちが出かける時に、玄関へ見送りにも来ない。私の部屋に入ったきり出てこなかった。しかし「私が見てあげるから行ってらっしゃい」と言う叔母の言葉に背中を押され、涙ながらに玄関に背を向けた。

 旅先ではやはり心配で叔母の家に電話してみた。

 叔母「恭平はかわいいよ」

私「どうしたの?」

叔母「昼間一人でいるとかわいそうだから、私の家に連れてこようとしたんだけど絶対に来ないのよ」

私「テリトリーがあるから、テリトリー以外には出ないよ」

叔母「それだけじゃなくて、家に着いたらまず散歩へ連れて行くんだけど、私の前を歩いて案内するのよ。いつもの散歩コースはこっちだよと、言ってるみたいに私を振り向きながら着いてくるのを確認するし。自分が満足したら家に自分から帰っていくの。家に着いたら、ご飯のお茶碗の前の座るから直ぐに恭平がお腹が空いたって判るし。でもね、ご飯をあげたらもう一度散歩へ行こうと言っても絶対に着いて来ないのよ。2階に上がってしまうからもう一度散歩に行こうと何度も誘ったけど、Mちゃんのベッドに寝て絶対に動かないわ。もう私には用がないから帰ってもいいよ、って言われてるみたい」

私「しかし、ずうずうしい犬でごめんね」

 叔母「違うの。恭平の言いたい事が全部判るからかわいくて仕方ないわ。今度私の家に泊めてもいいかしら?」

 との事らしい。

ついで私の親友

親友「散歩へ行ってきたけど、あまり遠くまで行くと心配だから"おうちに帰るよ"と行ったらくるりと方向を変えて家に戻ってね。戻ったら、自分のおもちゃを持ってきて遊ぼって誘いに来たから、少し遊んであげた。でも棚の前で私に何か要求するけど、何が入ってるの?」

私「あ、恭平のクッキーだよ」

親友「そうなんだ。一生懸命に訴えるから可愛そうだったけど、やっぱり黙って開けられなくて」

私「ごめんね。私が忘れていた。まさか、恭平がA(親友)に請求するとは思わなかったもの」

親友「でもね、その後私がもう帰るから留守番していてねって言ったら、くわえていたボールをパッと離してすごい寂しそうな顔をするんだ。あんまりにも可愛そうだったけど、時間がなかったから、ごめんねって言ったら、納得したみたいに玄関まで見送りに来てくれた」

 恭平は私達帰るまでこの調子で叔母と私の友人の世話を待っていた。そして誰もいないと私のベッドで待っていた。誰もいなくなってもここが自分の家だからと、叔母にはついていかなかったし、私の親友のことも玄関で見送った。5日間だったけれど恭平はとてもいい子でお留守番が出来たと思う。飼い主の私が驚くほど、しっかりとしている。

しかし恭平は叔母と私の友人を自分の召使のように扱ったようだ。恭平も案外ひどいやつだと思う。

 
風邪と恭平

 毎晩私は恭平と寝ている。恭平は私が寝るときに寝て、私が起きる。生活のパターンも一緒だ。ま、私は朝が弱いので起こされても起きないが・・・・

 ある日、私は風邪を引いて寝込んでしまった。ベッドの中で咳き込んで熱が下がらず2日間寝込んだ。その間、恭平はず~っと一緒に布団で寝ている。起き上がるときはおトイレとご飯の時だけ。恭平は私の体に必ずどこかをくっつけて眠るため、ず~っと一緒だと病気のときは辛い。「お願いだから何処か違うところで寝てきて」と始めて思った瞬間だ。

 この時は咳がひどいタイプの風邪であったため、咳き込むことが多かった。そして、あまりに咳き込むので恭平は布団の中から出てきて私の顔をずっと見ている。「心配なんだね。でも大丈夫だよ。直ぐに良くなるから。その間何処か違うところで寝てきたら?」などと恭平に話しかけていた。するとじーっと私の口元を見つめている。何? と思った瞬間一気に私をなめ始めた。おまけにいつものなめ方より力強い。咳の臭いでもするのだろうか???? いつもなら直ぐになめるのは止めるがこの時は何時までたっても止めない。

 そのうち私は咳が又出始めた。事もあろうか恭平はその私の顔に手を乗せ、「こっちを向け」と言わんばかりに手で自分の方へ私の顔を向けようとする。これはたまらない。手を乗せるだけならいいが、力を込めるために爪が出る。そのつめは私の顔へめり込み痛い。それを除けようと恭平のいるほうの反対側へ顔を向けた。すると恭平は又私の顔に手を乗せ、グイっと力を込めて自分の方へ私の顔を向ける。何をする?痛いじゃないか?

 が、私が寝込んでいる間、咳が出るたびにこの攻撃にあった。なめると咳が止まると信じていたのだろうか?  しかし、恭平は私の咳が止まるように一生懸命になめてくれたんだと思うようにしよう。そう思った瞬間、恭平がたまらなく可愛く見えてしまった。

いざ、海へ

 私の生活はもう、恭平がいるのが当たり前になっている。しかし、お友達は飼ってるパピヨンに兄弟が増え3匹になっている。うらやましいなぁ、と思いながらも私には3匹も飼うなんて絶対無理だと思っていた。ある日、この3匹と恭平を連れて海へ行くことにした。楽しいに違いない。ただ、恭平は水が大嫌いで、頭の上に水滴が1滴落ちてきただけで発狂する。それに、絶対に外には出ない。しかし、広くて大きい海を見るなら水嫌いだって何のその。きっと元気な恭平は楽しんで遊んでくれるだろう。

 ということで、お弁当を作ってカメラも持って早速海へ!!!!!

 あ~いいなぁ。やっぱり海は気持ちがいい!!!!そして、恭平は浜辺に到着すると固まった。動かない。私が見本を見せるために海へ入って行って楽しいよ~と喜んで見せた。他人が見るとアホみたいな光景だが、かまっちゃいられない。恭平と一緒に海で遊ぶんだ!!!!!

 が、恭平は反応が無い。というより、ジリジリとバックしていく。お友達の愛犬は海なんて何のその。自分から水の中に入って楽しそうに遊んでいる。1匹を除いては。この1匹は水が嫌いらしい。

 中々海に入ろうとしないので、恭平を抱っこして、そっと恭平を海の中へ。が、水に入ったとたん一気に浜に逃げた。やはり無理みたいだ。海だからという理由で、水を好きになるということはないみたいだ。仕方なく私はお友達の愛犬と一緒に遊んだりしていた。すると普段は気の合わないあの海の嫌いなお友達のわんちゃんと並んで浜辺に座っている。これにはお友達もびっくり。「嫌いなものが共通する2匹は結束したんだね」と納得をしていた。

 しばらく遊んで、振り返ると恭平がいない。どこを探してもいない。焦った。そんなに遠くへ行くはずはないが。まさかあのゴマ粒ほどに見える茶色いのが恭平か? いや、あのゴマ粒は動いてる。間違いない。恭平だ。走って恭平の下へ行くがどれだけ読んでも振り向きもしない。どんどん歩いていってしまう。「きょ~へー!!!!!どこへ行くの? 待ってぇ!!!!」と叫び続けてやっと恭平に追いついた。それでも恭平は歩いてしってしまう。「ごめん。本当にごめん。もう海には入らなくていいから機嫌を直して。お願い。ね、恭平」と何度言っただろうか。やっと恭平は立ち止まり、チラッと私を見た。そして抱っこをして欲しいとせがむ。「判った。抱っこでも何でもするから。お願いだから許してね。ね?ね?」ということでやっと仲直りが出来た。私が悪いのか恭平が頑固なのか・・・・

 しかし、一人で歩いてどこへ行くつもりだったのだろうか? いくら海が嫌いで無理やり海に入らされたのが気に入らなかったとてもまさか「僕はあなたのことが嫌いだ。これからは一人で暮らしていく」、とは思わないだろう。私が追いかけていかなかったら一体どうしたというのか?

 どちらにしろこの日は私は恭平の機嫌を取り、ずっと甘える恭平を抱っこして二度と逃げないように優しくした。非常に疲れた一日であった。

子孫

 こうして恭平と一緒の生活はいつしか当たり前になり、3歳を過ぎた辺りから何をしていても何処へ行くにも、恭平は私を中心とした生活をしていた。ここまでになるにはもっと色々お話したいが、それだけで本が1冊出来るほどなので、省略する。

 4歳を過ぎると、私と行動するときに必要な言葉を全て理解していて、必要以上の命令も心配も要らなくなっていた。私も恭平の表情や態度で意志の疎通が出来ているよう。一度ヘルニアを患った事があるが、皆は病気だと言い張ったが私には恭平の目を見ていると「ヘルニアだわ」と判る。なにより私の行動に合わせて恭平が行動する。車のサイド・ブレーキを踏んだら車から降りる。留守番と声をかけると、何時間でも車で待つ。私が車で出かける時にたまたま外にいると、走り去る私の車を追いかける。もちろん置いていく事は出来なくて、でも一緒にいても私の行動を邪魔するような事は一切無い。銀行へ連れて行っても、私が待っている間は何も言わなくても何時までも私の横で待つ。ある時この銀行で行員が声をかけてきて「この子はどうやってしつけをしたのか?」と聞いてきた。他にも沢山犬を連れてやってくるお客さんが来るが、リードを着けずに飼い主の横でじっと待てる子は恭平だけらしい。もちろん世間を見渡せば当たり前のことかもしれないが、私はすっかりうぬぼれてしまい「世間も認めるいい子」だと錯覚した。そして、こともあろうか「この子の遺伝子をずっと残したい」とまで思ってしまった。恭平の子供を作り、その子供を作って恭平の遺伝子を残すのだ。その気持ちに追い討ちをかけるように友人はすでに3匹目を買ってきたところだった。その友人を見て多頭飼いはそんなに大変ではないとも感じた。

 そしてその友人とペットショップへ。そして見つけたのがシンディー。 ペット・ショップで生後4週間のブラック・タンの女の子を発見。もちろん欲しいと思った。しかし、母は犬を2匹も飼うなんて絶対にイヤだと反対していたので買うことをためらった。

 しかし、買ってしまったらそのうち母もあきらめるに違いないと、購入を決意。家に連れ帰った。

母は発狂。恭平は無視。父は可愛いと感動。一番問題なのは恭平。仲良くしてくれないと困るのだが、全く無視。近寄る事もしない。しかし、時間をかけたら何とかなるだろう。シンディーは割りと活発だが、恭平の子供の時のように激しさは無い。恭平にじゃれ付いたりするが恭平はすごく怒る。しかしシンディーはすぐに降参をしてしまう。何とか仲良くなって欲しい。  あ、どうして「シンディー」という名前にしたかというと、恭平という名前を世間が珍しがるからだった。一般的に外国の犬に日本名を付けるということ自体が珍しかったし、その上人間の名前である「恭平」というのは非常にインパクトがあるらしく いつも

お散歩で会った人「可愛いですね。なんてお名前?」

私「恭平です」

お散歩で会った人「は?」

私「恭平です」

お散歩で会った人「きょいうへい? どうして?」となる。

または、「柴田恭平のファンなんですか?」と突っ込まれる。

 毎回、その疑問に答えていたがそれも疲れるので、やはり誰もが疑問を持たない名前にしようと考えた。どうせなら洋風でかっこよくて響きが良くて、女の子らしくて、素直な名前にしよう!!!! ということでなぜかシンディーになった。 シンディーは何をしても可愛くて、嫌がっていた母もシンディーの可愛さには負けたようだ。問題は恭平だ。相変わらずシンディーを無視して、尻尾の毛にじゃれ付いたときなど、うなって怒る。しかしシンディーは直ぐに腹を見せて降参のポーズ。そんなシンディーのけなげな態度に何とか恭平も心を開いてくれるといいのだが。

 そして我が家に来て1週間後。シンディー嘔吐。何度も吐いた。食欲もあまり無い様子。獣医へ連れて行ったら「この子は伝染病にかかっている。今発病したと言う事はあなたたが買う前にかかっていた。すぐにペット・ショップへ返しなさい」と言われた。ついでに「うちでは治療できない。他のペットにうつるといけないからね」と言った。なんということだろう。シンディーは治療も受けられないのか?家で相談したら、違う獣医に診せたらどうだとう意見があり、友人の行く獣医に翌日連れて行った。「今すぐにどうなるという状況ではない。しかし、治療をしなければこの子は確実に死にます」と言われた。そして「ペット・ショップへ返すという行為はこの子を物として扱うという事で、私はそういう考えで獣医をしているわけではありませんから、シンディーのことを一つの命として扱い治療します」と言った。

 しかし、獣医でもここまで考え方が違うのだろうか?確かにこの子は我が家に来てたった1週間。しかし私にしてみればすでに家族の一員である。「病気にかかっている子をペット・ショップに返したらどうなるのか?治療を受ける事が出来るのか?それにこの子はもう我が家の家族の一員となった。ならば治療をするのが当たり前ではないか?

治療の始まり

 毎朝、シンディーを点滴するために獣医へ連れて行き、夜7時頃家に連れて帰った。特別に薬があるわけではないので、ウィルスとシンディーのどちらが勝つか、という過酷なものだった。

 症状は安定していたが、もどす事が多くなり、下痢もひくなってきた。夜は私と母がシンディーを真ん中に挟んで一緒に寝た。少しでも愛情を感じてもらえたらいいなと思ったからだ。が私は疑問に思うことがある。我が家に来て10日程しか一緒に過ごしていないが、シンディーは私たちを家族と思っているのだろうか?もちろん私はシンディーを家族の一員としてこの家に招きいれた。出来るならシンディーにも私達を家族と思い、甘えて、わがままを言って欲しい。けれど、嘔吐した後の悪そうな表情といい、遠慮がちに私のひざで眠る姿といい、そんな態度を見ると、もっとシンディーに愛情をかけ、どっぷりと愛情を感じて欲しいと思った。

 3日目になると食事が減り、痩せてきたのがありありとわかる。しかしまだ我が家を歩いておやつを欲しがったりしていた。

4日目、突然発作を起こした。全身を引きつらせ、いかにも苦しそう。慌てて急患で診てもらうと、低血糖の発作との事。注射をしてもらったら割と元気になった。しかし先生が「これからも起こり得ることなので点滴の針はさしたままにしておきます。あなたなら出来ると思うので、発作が起きたらこの注射をさしたままの針のところから入れて下さい」と注射をもらって帰ってきた。 様態が好転しないのは明らかだった。

 この時「病気が治るまで入院という形で預けてしまう人がいるが、それは自分が病気で苦しむ子を見るのがつらいという人間のエゴ。飼い主がそういう考え方だと、ペットは助からない。飼い主が「この子はダメだ」とあきらめたときも、助からない。辛いでしょうがこの子はどんな形であれ愛情をかければそれに答えてくれる」と教わった。確かにそうだと思った。そしてあきらめる事は絶対に止めようと決意を新たにした。そして何より、この子が一番つらい。だからこそ出来る限りの事をしてあげたい。頑張って生きようと病気と戦っているのだから。

 5日目。病院へ行くときには毛布にくるんで行ったのだが、車に乗る寸前で抱かれながら、目を見開いて私に何かを訴えた。「まさか」と思い毛布の中を見てみると、ウンチをお漏らししていた。涙が抑えられない。おトイレはきちんと自分でしていたのに、その力も無くなったのか?抱きしめて泣いた。そしてお湯でお尻を洗って、きれいに乾かしてあげると、私の顔をなめる。まるで「ありがとう」とでも言っているかのようだった。何とかしてこの子を助けたい。

 6日目。殆ど自力で排便できない。起き上がってトイレに行く前にもれてしまうという感じで、お漏らしをした後のシンディーの表情はとても寂しそう。「大丈夫だよ」とシンディーを拭きながら励ます私の目にはどうしても涙がこぼれる。温かいお湯で汚れを洗い流すと、何とも言えない安心したような表情を見せる。そして、近くにいて欲しいのだろうか?ヨロヨロと起き上がり、倒れそうになりながら私か母の所へ歩いてくる。そして、べったりくっついてとても満足げな表情で目を閉じて眠る。そんなシンディーを時間の許す限り撫ぜていた。

 6日目。夜、獣医へ迎えに行くと、ぐったりしている。しかし、私の顔を見たらペロペロなめてくれた。つい「あんまりつらかったら我慢しなくていいよ」と言ってしまった。そして何時までもシンディーは私をなめていた。シンディーは一生懸命生きようとしている。しかし、昼間は動物病院の冷たいベッドで点滴を受け、私の帰りを待つしかない。自宅に戻って私にそっと甘えるシンディーを見ると、治療を断念して、出来るだけ長くシンディーと一緒にいるほうがいいのだろうか?それは心の片隅にシンディーの病気が治らないというあきらめに似た気持ちをどこかに持っていたからなのだろう。

 その夜、シンディーは寝ながら横に体を少しずつずらしてくる。すでに起き上がる力は残っていないのかもしれない。そして、シンディーの小さな顔を私の手のひらに乗せてきた。思わず起きて抱きしめた。こんなに体力が弱っているのに、甘えてくるシンディーを抱きしめた。

 そしてその朝、静かにシンディーは息を引き取った。あの時私の手に顔を乗せてきたのは、きっと彼女の精一杯の私へのお礼に違いない。  お線香とろうそくを立て「ご苦労様」と声をかけた。それしか私には言葉が見つからなかった。あまりに短い一生だったけれど、少なくても愛情を知り、幸せな時間を過ごしてくれただろうか?しかし、私がシンディーにした治療は正しかったのか?苦しめるだけだったのだろうか?そんな自分に対する疑問も残った。あの時「我慢しなくていい」と言った私の言葉を、シンディーがどう受け取ったのだろう?あの言葉には後悔が残る。でもあんなに一生懸命頑張っていたのにそれ以上「頑張って」と言えるだろうか?たとえ言葉の通じない犬だったとしてもだ。

 しかし、シンディーは私達の愛情に答えるよう一生懸命、生き抜こうといした。そうに違いない。

 火葬場へ連れて行こうとした時、それまで絶対にシンディーのそばにもよらなかった恭平が、シンディーにお尻をくっつけて座っている。シンディーを看病している間、恭平はずっと一人で私の部屋で寝ていた。一緒に1階で私たちと一緒に寝よう、と言っても必ず夜は私の部屋へ上がっていってしまう。それが今、シンディーの横に座りお尻をくっつけている。そして向き直り匂いを嗅いで、ずっとシンディーの顔を見ている。そのまましばらく恭平はシンディーから離れなかった。恭平は何を感じたのだろう。

 ペットショップへも連絡をした。「治療をしてくれてありがとう」とは言ったがそれ以上の言葉は無かった。その代わり、同じブラック・タンのメスが入荷となったらその子を私に優先的に格安で売ってくれるという。迷ったけれど、売ってもらう事にした。  ペットが物と同じように売買され、物と同じような扱いを受ける事がある。そうシンディーを亡くして痛感した。が犬といっても私達と同じで生を受けてこの世に存在する。新しい子を購入した理由の中の一つが、物として扱われるのなら私がこの子を買って大切にしたいというものだった。

 それに一度伝染病が発生するとそのペット・ショップは伝染病の危険はしばらくは残ることになる。シンディーと同じ辛い目にあう子は1匹でも少ない方がいい。 ペット・ショップには2匹の女の子がいるからどちらでもいい、と言われ、結局シンディーと同じブラック・タンの子にした。 しかし、シンディーはパルボ・ウィルスという伝染病にかかっていて、その菌はなかなか死なない。私の自宅で飼う事は危険を伴うので、弟がワクチンを打ち安全になるまで面倒をみることになった。