恭平の物語(Story of Kyohei)


目次


家族になった!

購入

 我が家には3匹のミニチュアダックスフンドが居座っている。まずこの「3匹の物語」の始まりからちょっと説明しておこう。大の友人がある日突然パピヨンをペットショップで買ってきた。とにかく小さくてかわいくて、ぬいぐるみみたいだった。その子を扱うときのこの親友の満足げな表情もなんともいえなかった。。。子供のころから犬と慣れ親しんできた私は、以前飼ってていたマルチーズを思いだし、無性に犬が欲しいと思うようになった。このマルチーズは「なな」という数年前に亡くなった子で、とても愛らしく抱っこしてどこでも連れて行けるし、おとなしくて、何といってもふさふさの白い毛に真っ黒な目と鼻が何ともいえなかった。その記憶がよみがえってきたのだろう。「飼うならマルチーズがいいな」と思っていた。

 運命というのは不思議なもので、御中元を買うために三越へ行ったのだがそこにペットショップがあるではないか、母と一緒だった私はちょっと母を誘ってみた。母はもともと犬がそんなに好きではなかったので期待はしていなかったのだが、「いいよ」といってくれた。そこに光り輝くミニチュアダックスフンドの姿があったのである。黒いお目目はまん丸で耳の毛なんてカールしている。確かに足は短いのだが、そこがまたかわいさを倍増させている。が、しかしダックスフンドのロングヘアーと表示に書いてある。なんで毛が長いのだろう?まあいいか、かわいいから。どんな犬になるのかもわからなかったのだが、そんなことは気にもしていない。一応お店の人に毛が長くなるのですか?と聞いてみると「ふさふさではないが、長くなりますよ」ということだった。しかしかわいい。お店の人も抱っこしていいなんて言うものだから、調子に乗って抱っこしてみた。おとなしい。もう頭の中からマルチーズは消えていた。とにかくこの子が欲しい。こんなかわいい子はなかなかいないよね...と馬鹿みたいに惚れ込んでしまった。が、高い!まーあきらめるかな...と、本来の目的の買い物へ行った。

 帰り道、見るだけならタダ!と、もう一度ペットショップをのぞいた。見るだけのつもりが、やはり欲しいという願望がわいてくる。が、母はとんでもないという感じで相手にもしなかった。ただ、一言「こんなかわいい子なら飼ってもいいね」とポロリともらしたのを聞き逃さなかった。「押せばなんとかなる。」確信したのである。家へ帰っても「いぬ!あの犬ガほしい!買って」と叫び続けた。もちろん私に犬を飼うようなお金はない。父に相談したところ、「ダックスフンドは猟犬だから、頭もいいし、おれはいいぞ」との答えだった。弟は、「足の短い犬なんて俺は好きになれん!」が、しかし勝ったのは私である。その後の悲劇も知らず大喜びで翌日買いに行ったのである。

 その後の私は友人に「性格変わったよね、大声で叫ぶ人じゃなかったのに。。。」といわれ、近所の人にまで「恭平君はよくお姉ちゃんに怒られてるね、」と言われる羽目になるとも知らず。あーそうそう、恭平というのはもちろん駄々をこねて買ってもらったダックスフンドにつけた名前である

 
命名

どうして恭平なんて名前なのかかと思われることだろう。父が、名前は「ゴン」だと言い出したのだ。それならまだしも、もうすでにゴンと呼んでいる。とんでもない!こんなかわいい子にゴン?!

ケビン・コスナーとか、ブルース・ウイルスとか、トム・クルーズとかなんとか、かっこいい名前にしたいわ。だけど思い付かないのである、いい名前がないのだ。俳優の名前がよかったのだが、どうしても、ケビンや、ブルースではピンとこない。ましてや、トム?ちょっと違う。ならば日本の俳優さんは?あるじゃないの、恭平よ!呼びやすくて覚えやすい、それに今、「あぶない刑事がはやっている。一晩中、「恭平、恭平」と呼び続けた。「ごん」と呼び続ける父を尻目に、私の呼びかけに振り向くではないか!「そうよあなたは恭平よ。なんてかわいいんでしょ。私の言うことが判るのね?」また私の勝ちである。恭平に決定した。

 そして、早速、その友人に報告した。「あれ?マルチーズが欲しいと言ってたよね?」と言うではないか何と失敬な友人だろう。よかったね、ぐらい言えないのだろうか。いやいや、すっかり、マルチーズのことを忘れていたので、つい、痛いところをつかれてかっとなったのである。まあ、そんな訳で、この物語は始まったのだ。

 私はそれから、とにかく可愛がった。もちろん誰からにも愛されるように、厳格さと優しさを持って接していった。このときには私は、恭平が私に一番なつくようにと、仏壇に手を合わせてお願いをしていた。この小さな命が自分を必要とする姿を想像していた。恭平が私が一番となれば家族にも威張ることが出来る。「恭平は私の言うことしか聞かないのよ」なんて。しかし1週間もするとその考えは、すぐに吹っ飛んだ。頭に血が上るということは日常生活においてそんなになかったのだが、顔を引きつらせ、大声を張り上げ、恭平の後ろからこぶしを振り上げ追い掛け回す生活になってしまった。しばしこの私の怒りの告白にお付き合い頂こう。

怒り

 我が家に来てすぐに、やんちゃを始めた。目に付くもの、気になるもの、動くもの全てに対し興味を示し、何でも噛んで楽しむのが好きなようで、その癖はとにかく私を困惑させた。まだ子犬なので起きている時間は短かったのだが、恭平が目を覚ましている間はとにかく目が離せなかった。しかし、愛くるしいまなざしと、無邪気な行いは大変さを忘れさせてくれる。しかし、何でもかんでも許すわけにはいかず、恭平のおもちゃを買い与えそれ以外をおもちゃにすることは許さなかった。一度怒っても又同じものを咥えて遊ぶのでそのたびに叱るのだが、あまりに言うことを聞かないので、ぶちきれた私は、怒り狂って恭平を叱った。しかし、この子はなかなか太い。神経が太い。怒っている最中に寝るという大した態度を私に見せたのだ。

 そして、まず一番最初犬を飼い始めたときに、一番苦労するのはおトイレなのだか、この子は取り込んだ洗濯物が大好きで、目を離したすきにその取り込んだ洗濯物の上で必ずおしっこをする。許すはずがない。そこで怒っていると、目をしょぼしょぼさせて眠たそうだ。そして、目を閉じて寝てしまった。怒っているのに、何も感じないのか???超、バカ犬??? いや、狸寝入りだ。信じられるだろうか????あきれ果てるとはこのことだ。しかしこの座ったまま狸寝入りをする姿がなんとも言えず、笑ってしまって怒ることが出来なかったのもっ事実だが。

 この頃、おしっこシートなんて物は無かったので、古新聞が恭平のおしっこシーとだった。しかしなかなかトイレを覚えなくて苦労していたのだが、ある日急にしゃがんだかと思うと、新聞紙の上で用を足し始めた。よかった。トイレではないけれど新聞紙の上なら用を足していいのだと理解し始めたんだ。少し苦労の甲斐があったと喜んだのだが、すぐにその思いは吹っ飛んだ。それ、今日の新聞。。。。。

 私は柄にもなく、編み物が好きだったのだが、悲劇はここでも起きた。揩チているものは何でもかんでも興味を示すのだが、毛糸だけは許せない。とても注意して、毛糸だまは恭平が加えて走らないようにかごに入れて、作業を進めていた。しかし、ちょっと席を外したときに毛糸だまを加えて走り出した!!! 狙っていたんだ!!! 慌てふためいた私は、恭平を追いかけたのだが、これがいけなかった。調子に乗った恭平は食卓テーブルの下へ逃げ込んで、捕まらないようにと、逃げ回っている。食卓テーブルと椅子の足は毛糸で複雑につながった。。。絡まった毛糸を片付けてほっとしたのもつかの間。今度は編んでいるほうのセーターを加えて走り出した。「こらあああああ!!!いい加減にしろ!!!!」しかし、恭平は尻尾を振っている。全く、狂いそうだ。。。。

 

 父は、「半年もすればおとなしくなる。今は新しい家族に囲まれてうれしいんだ等と、発言をしたが、おとなしくなるまでに3年半ほどかかった。私の父は、大うそつきである

この時の私達の感覚で、愛犬に1部屋を与えるとか、一緒のベッドで寝るなどという発想は無かった。それに、洗面所の床はタイルで出来ていたので、洗面所が恭平の部屋兼トイレにすることにした。ここなら少々お漏らしをしても大丈夫。そしてベッドはダンボール。おしゃれではないか。ちゃんとかわいいタオルをひいてあげた。ますますおしゃれなベッドだ。恭平も案外お気に入りで、遊びつかれるとさっさと段ボールベッドでお休みをする。かわいい。何ともいえずかわいい。

 そんな恭平に第一の試練が訪れた。私の父は小さいながらも会社を経営していて、給料がやすい割には皆よく頑張ってくれるので、恒例の一泊の慰安旅行に行くことになった。もちろん家族全員なので恭平は家でお留守番。しかし、しかし、食事とトイレが一番心配でやはり私だけ残って恭平の世話をするべきかと迷っていた。しかし、祖母がすぐ家の裏にいたのでご飯と、散歩だけ世話してくれると言う。心配ながらも祖母は恭平をかわいがってくれているし、大丈夫だというので任せることにした。そして旅立ちの朝、心配で心配でとにかく泣きたくなるほど心配をしながら、家を出た。旅先でもやはり恭平が心配だった。

そして一泊して家へ帰ると祖母が涙しながら私たちの帰りを待っていた。何故だろう?不安になった。しかし、涙ながらに話す祖母の話を聞いてみると、 玄関の鍵がうまく開かなくて、一晩、恭平に餌もやれず、散歩にも連れて行けずに真っ暗な中一人ぼっちにさせてしまったというとたっだ。裏に住んでいる伊藤さんに頼んで、やっと今日の夕方家の中に入ることが出来、恭平にご飯をあげて、散歩をさせて、帰ろうとしたらしい。同じ家に住んでいなかったので私達に遠慮があり、用が済んだら帰るつもりだったからだ。ところが、祖母の着物のすそをかんで帰ろうとする祖母を引き止めるらしい。かわいそうで、「じゃもう少しね」とそばにいてやると、一心不乱にクッションとじゃれている。あ、大丈夫だな、恭平も平気そうだし、遊んでいるところをみると帰っても心配なさそうだからと、腰を上げると、やはり恭平は着物のすそをかんでひっぱり帰るなというらしい。遊んでいるからそばにいろ、そして僕を見ていてと訴えるというのだ。(祖母の意見だが)  その姿を見た祖母は何ともかわいそうなことをしたと、涙が出てきたということらしい。

 しかし、恭平はしさぞかし寂しかったことだろう。それも一晩中一人で、おしっこもうんこも我慢していた。しかし、祖母にはもっと悪いことをした。頼んだばかりに、祖母を泣かせてしまった。私は本当に反省した。祖母にも恭平にも。が、かえってこの事件が、恭平と祖母の絆を深めることになった。いつも祖母を見ると全身で喜びを表す。祖母も恭平を滅茶苦茶可愛がるようになった。

そして、落ち着いたところで祖母も安心して帰っていった。私たちも夕飯がまだだったので、とりあえず、出前でもとろうということになり、母が出前をしに行った。出前といっても、作ってもらって、持ち帰るというシステムなのだが、そこに母が、恭平を一緒に連れていった。私と弟は嬉しそうに走る恭平を眺めていた。

 ところが、恭平がしっぽを丸めてこちらへ走ってくるではないか!どうしたんだろう?その後ろから母が追いかけながら叫んでいる「車にひかれた!」が、そんなはずはない。走っているのだから。状況としては道路に飛び出して車にちょっと当たったようだ。それでびっくりして、走って逃げ戻ってきたのだ。しかし車に当たった様子は私が見る限りでは無かった。が、父がすぐに病院へ連れていけという。どこも痛そうなところはないので大丈夫と思ったが、救急病院へ連れていった。案の定、どこも怪我をした様子はなく、「車に当たった様子もないし、ただびっくりしているだけだと思うから、今晩は、恭平君が不安を感じているはずなので、一緒に寝てあげてください。特に一晩、いい子でお留守番をしたのだからね」なんて先生はおっしゃった。

 が!しかし! この一言で、この日から私は恭平とベッドを共にするはめになった。この夜は始めて羽毛布団で寝たときの私のように布団の上ではじゃいでいる。元気なので何事も無くて良かったと思った。しかし、嬉しそうだ。一緒に布団に入り、おまけに私の腕を枕にする。ずうずうしい。あまりくっつくと寝返りを打ったときに恭平をつぶしてしまうという不安があり、恭平から離れると、寄り添ってくる。それを繰り返すと当然私は壁にぶち当たるか、ベッドの下に転落。冗談じゃない。寝苦しく夜中に目が覚めると、やはり私の腕を枕にしている。でも。。。。それが可愛い。。 一晩だけのつもりだったのだが、翌晩から布団の温もりを知ったのかダンボールベッドに入ろうともしない。。「僕は毎日ここで寝るんだ!」と決めこんでしまったようだ。あのおしゃれなダンボールベッドはゴミとなったのは、すぐその後のことである。 が、この時、恭平のご主人様は私なのかもしれないと、ほぼ確信を持った。父母、弟の布団へは絶対入らない。密かに恭平を抱きしめた。私がいないとだめなのよね、恭平君は。こういう時は君までつけて呼ぶのだから、私も勝手ということなのかもしれない。